今年の夏、圏央道が中央道とつながった。高速道路の開通は、私にとって、新しい世界への道が開通したことを象徴していた。

導かれるようにすぐに諏訪へ旅に出た。その旅先で、私は突如不思議な感覚におそわれた。

私が飯能の地に越してきて、今年は8年目である。新約聖書では、イエスの復活の日を「第8の日」と表現しており、まさにこの8という数字は、すべてが新しくされ、高次元の世界への移行を意味している。諏訪への旅を通して、なぜ私は飯能に導かれ、この地でヒーリングの使命をはたすべきなのかを、教えられた。

以下のレポートは、私が直感で感じとったことを、一般的にも説明できるように調べ直し、まとめたものである。ご一読いただければ幸いである。

2007年 9月 常田正行 




コラム☆パワースポット飯能

飯能は特殊なパワースポットであると、私は確信している。
世界にある多くのパワースポットの一つの共通する特徴は、衛星画像を見ると何か特殊な地形的特徴があり、その位置の判別が比較的容易な点である。飯能市の位置を特定するのに、それほど大きくない日本地図を使うならば、とても難しい。おそらく飯能在住者であってもA4程度の用紙に書かれた日本地図、概算で200万分の1の縮尺の地図上で飯能市の市街地をピンポイントで指し示すのは困難であろう。
ところが、衛星写真ならば飯能を指し示すことが可能であることが分かった。200万分の1の地図に相当する衛星写真では、東京湾が小指程度の大きさに見える。この程度の日本の衛星写真を見ると、関東平野は大雑把に言えば、西側がほぼ南北の直線状に平野部と山間部の境目がある。その境界線上には一つの丘陵が際立って東側に伸びているのが見える。さらに、そのすぐ北側にも丘陵が東に向かっている。この二つの丘陵の間が飯能の市街地だ。宇宙から見ると加治丘陵がとても良い目印になっている。
しかし、飯能が日本の中でも特殊なパワースポットであることは、この程度の事では証拠にはならないだろう。
実は、それを論証する前に、日本の中心となるパワースポットから考える必要がある。


諏訪湖

日本の中心はどこであろうか。この答えを出すのは容易ではない。なぜなら多くの地域で日本中心説が唱えられているからである。
では、まず日本全体の地図を見て多くの人は直感的にどの辺りを中心と認識するであろうか。私と同様に諏訪市周辺を指す人は少なくないであろう。
地理的な日本の中心は東経137度59分36秒、北緯36度00分47秒。
長野県の諏訪湖の西側の岡谷市がある。同市内の枝垂栗森林公園を通る塩嶺王城(えんれいおうじょう)パークラインと呼ばれる道から辰野駅方面へ下る王城枝垂栗林道の途中に、「日本中心の標」がある。この標の近くにはらせん階段のついた展望台があり、ここから八ヶ岳やアルプス等の山々を一望することも出来る。

諏訪湖の成因は地殻変動による構造的なものと考えられている。水溜りができるには凹みが必要であるが、この凹みは諏訪湖の両側にある断層の活動によってできたと考えられている。湖の南側と北側には糸魚川静岡構造線が分岐して走っており、これらの断層が左横ずれの運動を起こしたために隙間が空くように凹みができたと考えられている。断層は1本ではなく、何本も並走、または雁行配列している。
諏訪湖の形成にはもう一つの断層も関与している。
中央構造線と糸魚川−静岡構造線は諏訪湖で交わっている。つまり、日本を東西と南北に走る巨大な2本の断層の交点が諏訪湖である。日本を動かしつつ、日本列島を形成している大きな地殻エネルギーの交点である。

厳寒期、諏訪湖が全面結氷後に夜間冷え込むと、轟音と共に氷が裂け、その裂け目が山のようにせり上がる。この自然現象は、寒冷地帯の湖で一般的に見られるわけではない。氷が裂け隆起する方向は、中央構造線か糸魚川−静岡構造線に沿うものが多く、なぜこのような現象が起こるのか、完全には解明されていない。
この自然現象は御神渡りと呼ばれ、諏訪大社の上社の男神が下社の女神の元へ通う恋の路との伝説があり、八剱神社宮司がその年の吉凶を占う拝観式も行われる。暖冬から、最近見られることは珍しくなった。


諏訪大社

お諏訪様と呼ばれる諏訪神社の総本社。上社と下社があり、上社が本宮(諏訪市)・前宮(茅野市)、下社が秋宮・春宮(共に下諏訪町)に分かれる二社四宮で鎮座している。上社は建御 名方神(タケミナカタノカミ)を祭神とし、古くは風の神、水の神、農耕・狩猟の神として信仰を集めていた。

中世以降は東国第一の軍神として崇拝され、名将たちが全国各地に分霊を持ち帰ったとされている。そのため全国に一万余りの御分社が祀られている。諏訪造りと呼ばれる本殿をもたない建築様式で、社殿と神宝は国の重要文化財に、社叢は県の天然記念物に指定されてる。

以上が諏訪大社の一般的な説明であるが、本来はどのような神であったのか、はっきりとは分かっていない。
記紀を参照すると次のようなことが分かる。
国譲りにおいて、父の大国主命が高天原の最高司令神天照大神から「地上の国の統治権を禅譲しなさい」と迫られたとき、これに最後まで抵抗したのが、諏訪大社の祭神である建御名方神 だった。結局は、敗れて故郷の出雲を追われ、信濃国に逃れて諏訪湖のほとりに隠棲したというのが神話のストーリーである。

そのまま受け取ると、まるで”負け犬”的なイメージになるが、これはあくまでも大和朝廷を主役とする神話編者の創作にすぎない。
おそらく大和政権が東方へと勢力を伸ばす過程で、当初はまつろわぬ神として立ちふさがったのだろう。反抗的な人々が信ずる神だといっても、有力神だけに抹殺するわけにもいかない。
そこでマイナーなイメージで神話のなかに組み込んだということが考えられる。

諏訪地方に伝わる縁起譚の「諏訪大明神絵詞(スワダイミョウジンエコトバ)」には、建御名方神がこの地に来て先住の地主神や諏訪湖の龍神(水の神)などの神々を征服して鎮座した、とその武威が強調されている。また、とくに鎌倉時代以降は西の八幡神と並び、霊験あらたかな軍神として大いに崇敬され、全国各地に諏訪信仰が広がり、諏訪神社が祀られるようになった。

もともとが武威にすぐれた神格でなければ、軍神、武勇の神として崇敬を集めることもなかったはずである。そうでないと、記紀神話の”負け犬”的な神が、一方では日本を代表する軍神・武神であるという矛盾した現象の説明がつかない。


御柱祭

御柱祭は、7年目毎の寅と申の年に、諏訪人22万人をあげて盛大に行われる諏訪大社氏子のお祭り。その勇壮さと規模から天下の大祭として全国的にも有名。直径約1m、長さ約17m、重さ約12tにもなるもみの巨木を、諏訪大社氏子が総出で山から切り出し、里へ曳き、最後には上社・下社の各社殿を囲むよう、四隅に建てられる。巨木を山から里へと曳く「山出し」は4月に、里から各社殿へと曳き建てる「里曳き」は5月に開催。また、諏訪地方の各地区にある小宮と呼ばれる神社でも秋に御柱祭が行われるなど、一年を通して盛り上がる。この祭りのルーツもはっきりしないが、「山の神が里に下りてくる」と歌われる事から、山岳信仰と関連があることがわかる。
上社本宮の御神体は社殿のほぼ西に位置する守屋山と言われている。しかし、御柱が切り出される山はまったく別の所である。


霧が峰

諏訪湖の東北方向には霧が峰がある。御柱は霧が峰周辺から切り出される。なぜこの地なのか明確には分かっていないが、霧が峰周辺に古代の祭儀場所があった。古代祭儀場跡は霧が峰周辺で数箇所発見されている。その中で私が最も重要な場所だと考えているのは、八島湿原と車山である。

一年の多くを霧で覆われる霧が峰。まるで自然の力がこの地を大切に隠しているようだ。そして不思議なのはこの周辺の道である。山道はその必要性から、できるだけシンプルにできているはずである。ところが、八島湿原と車山周辺の道は迷路のようになっており、「何度来ても同じ道が通れない」と言う人もある。霧と迷路によって守らなければならない場所であったのかもしれない。


八島湿原と旧御射山遺跡

八島ヶ原湿原の南端に旧御射山遺跡がある。古代から五穀豊饒を祈願した祭りが行われていたらしい。祭りが最も盛んになったのは鎌倉幕府の時であり、全国から鎌倉の武士達が集い、流鏑馬(やぶさめ)や笠懸(かさがけ)などの武術を競い合ったことから、国体発祥の地とも言われている。 鎌倉時代以前のことは分かってはいない。しかし、日本全国から人が集まるほど、重要な祭儀場であったのは間違いないであろう。
御射山遺跡西側の丘の土段は観客席跡として使われていたと考えられている。
しかし、この丘は古代にはもっと重要な場所であった。
八島湿原には三つの池がある。その一つ、鎌が池を良く観察すると、大きな石が十字形に並べられているのがはっきりと分かる。人工的に並べら得ているのである。池からは湿原の中心に向かって水路がありその先に井戸のようなものも発見されている。池の石の並びの十字を湿原の中心線方向へ延長すると御射山遺跡西側の丘のほぼ中央部を指している。丘と湿原の間の斜面には石垣を作っていたであろう石が無数に残されている。古代においてこれほどの工事を行ったのならば、おそらくこの丘は古墳か、段状に形成された祭儀場であったのだろう。

昭和30(1955)年に、戸沢氏(元明治大学学長)・松沢氏らがこの丘を調査した。 発掘の面積は3×1.5mのピットを掘ったにすぎなかったが、それにもかかわらず5,000点以上の石器が出土した。調査報告書で「大小の黒曜石片がほとんど敷き詰められるほどに濃い包含状態を示していた」とし、石器工房跡ではないかと結論した。しかし、この丘が人工的に段状に形成されていることや、黒曜石産地に近いが産地そのものではないこと、さらに黒曜石が敷き詰められるほどに発見されたこと等を考えれば、工房ではなく祭儀場と推測できる。
残念ながら、この後にはいかなる発掘調査も行われていない。

ここで、大きな視点から見ると、さらに不思議なことが判明する。十字の石の並びを延長するとこの丘の中央になるが、地図上でその線をさらに延長すると、諏訪大社の下社春宮に正確に重なるのである。さらに八島湿原と下社春宮と上社本宮をつないでみると、正確な二等辺三角形になる。古代にこれほどの測量技術があったとは常識的には考えられない。これはただの偶然だろうか。地上の道の距離ではなく、上空から見なければ分からない三点の距離が等間隔になっているのだ。
日本の航空写真を見ても日本の中心点に水色の諏訪湖がはっきりと見える。高高度からのとても良い目標だ。その地に作られている上空からしか分からない二等辺三角形にどんな意味があるのだろうか。


車山

八島湿原から御射山遺跡を通り、さらにそのまま進むと車山山頂に至る。ただしこの辺りは迷路のように道が複雑である。
諏訪の聖地の三点が等距離にあることがわかるほどに高い位置ではないが、標高1925mの車山山頂に立つと天界に近づいた感覚がする。天狗の鼻にも似た山頂からは北、中央、南アルプス・八ヶ岳連峰・浅間山、晴れた日には富士山などが一望のもとに見渡せる360度の大パノラマが広がっている。

山頂にはもう一つ重要な施設がある。平成11年11月、気象庁のレーダー観測網をより充実させるため、富士山レーダーに替わり、車山山頂に新たな観測所が建設された。日本一の標高を誇る富士山頂よりも、ここ車山のほうが日本の空を観測するのに適していることが科学的にも認められたのである。

古代の祭儀場である八島湿原とこの山とは無関係とは思えない。ここでどのような祭儀が執り行われていたのか、それはまったく不明である。ここから日本中に聖なるエネルギーを発信していたのか、それとも宇宙の絶対者と交信するための祭壇があったのか、想像は尽きない。


飯能との関係

日本地図を見ていると車山周辺からいくつかの連峰が連なっているのが良くわかる。その中でひときわ目立つ山の連なりがある。
車山から、八ヶ岳、その延長にはほとんど帯状に山々が並ぶ。全ては列記しないが、有名なところでは横尾山、金峰山、甲武信か岳、白石山、雲取山、川苔山と連なっている。この帯状に連なる山々と平地の境界点に飯能がある。

ここで、中国に伝わる風水で考えてみよう。風水で土地は判断するときに「龍」「穴」「砂」「水」の四つの法則がある。「龍」とは龍脈のことであり、山脈の連なりを気の流れるルートとして捕らえる。これが無ければ大きなエネルギーが土地にやって来ない。すると上述のように、飯能には巨大な龍脈が諏訪から続いている事になる。しかもこの龍脈は日本の中でも特殊である。まず、日本の中心であり、パワースポットからやってくる。そして距離が長い。さらに二連である。もっとも不思議な事は、地質学的事実である。関東を含むこの地域はフォッサマグナと呼ばれ、地殻の大きな変動で日本列島が二つに割れた後の新生代(6,500万年前から)以後にできた地層である。ところが、飯能に連なる龍脈でる山脈は、フォッサマグナの中央にありながら古生代の地層である。何故ここに古い地層の山脈があるのか、確実な学説はまだないが、確実な事は、列島を分断する大きな地殻変動にみまわれてもこの龍脈は健在であると言うことだ。
次に「穴」とは龍穴であり、龍脈を流れてきたエネルギーが地上に集結するツボのことである。山脈と平地の境界である飯能はまさに龍穴に当たる。
次の「砂」とは龍穴から湧き上がるエネルギーが散乱しない様にガードする周りの地形や、その土地のことである。飯能は岩盤が地面の直下にあり、マンション建築で杭が不要なほど、強固な「砂」である。地形的な側面の風水における理想的な場所は京都であると言われている。四神(個人的には四聖獣と呼ぶ)の「玄武」「青龍」「白虎」「朱雀」に対応する地形として、北山、東山、嵐山、巨椋池が京都の東西南北を守っているからだ。しかし残念ながら巨椋池は現在は無い。
飯能の周囲にも四聖獣が存在する。「玄武」とは蛇と亀である。川や湖が象徴する。飯能の北には宮沢湖や蛇行する川と巾着田がある。ここには聖地高麗神社がある。
「青龍」に相当する山を特定する必要は無いかもしれない。飯能の高台から見れば、西側には青い山脈が連なっているからである。つまり、龍脈そのものが「青龍」と考えられる。あえて言えば、奥多摩の川苔山や聖地御岳山をあげることができる。
南の「白虎」も良く象徴的に存在する。虎の武器はその強力は爪だ。前述の加治丘陵は空から見ると巨大な虎の爪と言っても反対する人はいないであろう。白虎の爪の先には高倉寺がある。この寺については、まだ調べていないので、詳しい方からは情報をいただきたい。
東の「朱雀」に相当するものは何であろうか。鳥を象徴するものがあるだろうか。飯能の東には稲荷山がある。山と言うにはあまりにも低いが、風水的には充分だ。そして人間の根源にある直感から作られたのかもしれないが、ここには航空自衛隊の入間基地がある。まさに「朱雀」だ。
最後に「水」であるが、これは龍穴に集結したエネルギーが分散されずに流れる通路のことで、河川や道路を言う。入間川と高麗川が飯能の「水」である。このように風水から見ても、飯能は理想的な土地である。

日本を上空から見ると、つまり日本地図を小さくしてみると興味深い。地と天の聖地である諏訪霧が峰地区。その聖地のエネルギーを伝達するように連なる山々の帯。それらと飯能を結ぶ線を延長すると、銚子岬がある。

ここで地図上に飯能と銚子を結ぶ正確な線を引いてみる。すると帯状の山頂地帯の真ん中をとおっている。そしてそのラインは、諏訪湖や八島湿原からは少しずれている。しかし、ぴったりと守屋山に重なるのである。諏訪大社本宮の御神体と言われる守屋山は、先に述べた二等辺三角形の一点に近い。この三角形は上空から見なければ知覚できないのと同じく、守屋山、飯能、銚子が一直線状にあることは、よほどの測量技術があるか、衛星写真でもなければ知ることはできないであろう。

私がこのラインを衛星写真で見ていると一つの直感的な例えが見えてきた。
帯状の山々はまるで槍の柄の様であり、関東平野から太平洋に突き出ている銚子岬は槍頭の刃物のようである。槍の構造において、槍頭の反対側の端には石突(いしづき)が付けられる。この部分も槍には重要な要素である。

では、諏訪、飯能、銚子のラインを反対側に伸ばすとそこには何かあるのだろうか。直線状になる山の連なりはない。しかし、このライン上の山岳地帯と平地の境界には、曹洞宗大本山永平寺がある。霧が峰から発するパワーラインを槍にたとえるならば、飯能は柄と槍頭の接合部であり、石突は永平寺と言うことになろう。曹洞宗の開祖である道元は何かを直感していたのであろうか。個人的な意見だが、日本の精神史において道元こそはもっとも深淵な人物である。


仮説


日本の中心であり、地のエネルギースポット諏訪、天とつながる車山、そしてその二つを融合させ祭りを行った八島祭儀場が古代に存在した。

ここから日本中にエネルギーが流れていたが、その中でも特に強力なエネルギーラインがある。

その始点になるのが守屋山である。そしてこの強力な聖なるエネルギーは山々の頂を伝わり、ここ飯能から関東平野を浄化する。

平野に住む人々の悲しみや恨み、憎しみ、敵意、我欲を浄化し、平安と喜びを与える聖なるエネルギーを発する拠点が飯能である。このエネルギーの流れは太平洋に至り、銚子岬で集約され海に注がれて黒潮に流され海で清められる。

もし、飯能の地に聖なるエネルギーを受け取り、それを人々に伝達できる人々がいるならばこの仮説は証明されるかもしれない。




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